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三治郎と海

第三共栄丸の招きで、一年は組が海へ課外授業へ出かけたときのことである。三治郎は気が進まなかった。

 

 「おおい、三治郎。こちらへお出でよ。」
「海の水は井戸の水と違って、塩辛いぞ。」
「誰がこんなにしょっぱい水にしたんだろうねぇ。」

砂浜を駆けて、団蔵や喜三太が水の中へ入っていく。遅れまい、と他の仲間も海へ入っていった。三治郎はぼんやりとして、砂浜に取り残された。

「ナメクジさんたちも遊びたいかなァ。」

「ナメクジを入れたら、死んでしまうよ。」

「本当だ、塩辛い。」

ナメ壺から彼の友人を出そうとしていた喜三太を金吾が制止する。

怖い、恐い。強い。三治郎は海の水が、怖い。山水の戟とした清洌さに較べれば、海の水は曇と白濁しているように感じるからだ。


「おおい、三治郎。こちらへお出でよ。」
「水は井戸の水ほど冷たくはないけれど、水の中には妙な生き物がいるぞ。」
「竹谷先輩に持って帰ったら、よろこぶかなあ。」

「これ以上、ヘンな生き物を殖やすなよ。」
虎和が自分の手のような生き物を両手に掲げて、笑っている。

 


「おおい、三治郎。いつまで其処に突っ立っているんだよ。」

「熱が身体に籠って、病気になるぞ。」

「おおい、三冶郎。」


皆の声が遠くに聞こえる。そう思ったときには、三治郎は真っ暗闇の中庭だった。

 

 

川は産まれる。森の奥深い場所で。深い地の底から産まれた水は、辺りの精気を巻き込み煥発し、烈しく流れる。音を立てるわけでもなく、静かに静かに蒼い其処から湧き上がってくる浄水。身体の芯がしびれるように、ひそやかに冷たい。その流れに一度触れれば、汚濁から解き放たれる。自分のやましい心など、小さなものだったと認ることが出来る。

だが海はどうだ。

 

清浄な流れであったはずの水の尾が、流れ流れるほど、穢土の厭離を引き連れて。海に蛍がいないのは、濁流に呑まれてしまったからだろうか。
河口に吐き出され出された腐臭に。その凄惨に三治郎は目を覆った。何も見ないように。

 

だが、消えない。両の耳を手で塞いでも、目をきつく閉じようとも、鼻や皮膚や爪の先から、情が流れこむ。思考を妨げる。いくつもの業火が目裏に映る。

 

 

「おおい、三治郎。」

「気がついた。」

「吃驚したよ。」

「いきなり倒れるんだもん。」

 

三治郎が見たものは、は組の顔だった。乱太郎が三治郎の額に手を置いた。

「吐き気は無いよね、今日はじっとしていなよ」

三治郎は乱太郎の手を払うと、是と返事をした。

「僕のことは構わないで、みんな遊んでおいでよ」

 

涼しい木蔭に腰を下ろしたまま、黄土色の砂浜を見つめ、三治郎はため息をついた。海を越えた明国の向こう側には、こんな黄土ばかりの地が広がっているということを父から聞いたことがある。そこには水も食べるものさえないと聞く。目の前に広がる際には遠くの海から流れ着いたという真白い木、真白い貝の残骸、打ち上げられた名も知らない魚や海月が点々としている。貝殻を集めている乱太郎としんべェを見て、三治郎は困惑した。みんなの笑い声が聞こえる。三治郎には何が楽しいのかさっぱり分からなかった。沖のほうには、小船が何艘か出ている。潮でべたついた風が三治郎の頬を撫でた。三治郎は顔をしかめた。

 

「大丈夫か、気分はもう好いか。」

三治郎は背後の声に振り返って応えた。

「はい、多分。」

「多分はいかんぞ。ほら。これ、喰うか。」

三治郎が首を振って応えると、そうかと第三共栄丸が言った。

「海の気にでもあてられたかな」と言って、第三共栄丸は三治郎の頭にごつごつとした手を乗せた。「ふうん、熱は無いらしいな。」二三度撫ぜると、隣に座った。「隣を失礼するよ。」

海風が吹いてきた。しばらく無言のままだったが、痺れをきらしたのか第三共栄丸が話し始めた。

「まあ、仕方ないな。海はそういうところさァね。海っていうのは、恐ろしいところだ。」

海に眼を向け、第三共栄丸が、あまり良いとは言えない声で話し続ける。

「海は悪いところじゃあねぇ。俺達は海に生きもするし、生かされもするんだ。」

塩が無ければ、山の民は冬を越すことができない。籠や皮が無ければ海の民は食べていくことが出来ない。そういうもんだ。川は山と海を繋ぐでぇじなもんなんだ。山の水は確かに清冽だ。清い流れだ。だが、何時までも清いままでいられやしない。池に溜まれば、初めは綺麗な水であっても腐ってしまう。水は上から下にしか流れない。さかさまになったら、それこそ祟りじゃないのかいねぇ。流れていく間に、いろんなことがあるだろう。川はそれを全てながすんだ。弓、矢。馬、仏さん。いろんなものが川から流れてくる。時々お前さんたちも、流れてくるがなあ。海は全部受け入れて、もう一度立ち上がれるようにしてくれるところでもある。腐った人体は魚が食ったり、海の屑になる。魂は彷徨うだろうが、いつかは巡り来る輪に戻るんだろうよぉ。俺のじっさまが言っていた。

日焼けした顔を三治郎に向け、第三共栄丸は眼を細くして笑った。

「何を見たかは知らんが、気にするな。今は仕方の無いことだ。」

第三共栄丸は、三治郎の頭を擦るようにかき回すと、ほら行って来いと三治郎の背中を押した。

三治郎はどうしようかと思ったが、兵太夫が呼ぶので砂浜を蹴った。

 

 

 「おおい、三治郎。こちらへお出でよ。」

 






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季節無視ですみません。
20090213

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